風ニ負ケヌ草トナリ、雨ニ負ケヌ花ヲ咲カセル。私ハソンナ人間デアリタイ。


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師走の東京

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空気の澄んだ冬のベランダから180度の写真を撮ってみた。
by masami_ws | 2011-12-30 00:42 | 閑話休題

こんまり的捨てる人生VSなかまさ的捨てられない人生

 若いころから見どころのある男として、今に大きくなると思っていたら本当に大きくなった(…ただし体が…ざっと0.1トンは軽く超えている)大見Tモヤス氏にブログサボんなよと言ったら、さっそく良いことを書いていた。曰く、「捨てないと入ってこない」。うーむ、なるほど。

 キミもボクも、まずはお腹の周りのものを捨てないとねTモヤスくん、などと一人ツッコミ入れてましたが、ちょっとその「捨てる」ということについて書きたい。というのも、最近、日本人は捨てすぎてないか?ということだ。

 この間、テレビに「こんまり」とかいう小さくて可愛い女の子が出ていて、何をする人かと思いきや、人の家へ行って片付けをする名人なんだとか。けっこうづけづけと「こんな服、これから絶対着ないですよね」などと言ってどんどん捨てさせる。(きっと、この人O型だと思う。知ってる人はいるだろうか)

 このやり方を見ていると、つまり片付けとは捨てることなのだと納得させられる。過去に執着するから捨てられないと言われればその通りだ。合理的に考えれば、もう一生着ないだろうと思われる服、例えばオイラやTモヤスくんが若かりしころ来ていたスマートなY体のスーツなど、これからどう頑張ってみても着れるようになる見込みは97.8%くらいない。

 そんな物を後生大事に取っておいて、どうすんだねTモヤスくん!今に痩せるからと言って、特大サイズ専門店に行ってる場合か、キミいっ!なんて言いながらオイラも捨てられない服や本、鞄などが5トンくらいある。いやはや参ったのう。

 ついでに言えば、さっき冷蔵庫に11月に買ってとっくに賞味期限切れのタラコを発見。これだって焼いて「焼きタラコ」にすれば食える、と捨てられない。桃屋の「ごはんですよ」とか「鮭フレーク」の入ってたビンを捨てられず、綺麗に洗って取ってある。宅急便の段ボールもちゃんと取ってある。枯れてしまった植木の鉢だけは、何か植えるかもしれないと取ってある。絶対外へは締めて出られない、冗談で買った猫の柄のネクタイも捨てられない。

 そう、オイラはこんまりとは正反対の「捨てられない人生」。こまったもんだ。

 でも、ちょっと待て。利用価値の無くなった物は何でも捨てられるドライな人生ってどんなものか。こんまりさんが片付けたという部屋を見て、なんだがモデルハウス的無機質感を感じるのはオイラだけだろうか。

 子どもの頃、一体何に使うつもりだったのかよくわからないが、母がデパートの包み紙などを丁寧に畳んで茶箪笥の引き出しにしまっていたのを思い出す。無駄が多く、不合理であることは承知だが、家が散らかってもオイラは思い出や未練を捨てられない人生を選ぶ。こんまりさんはその辺のことをどうお考えなのだろうか。
 
by masami_ws | 2011-12-28 01:25 | 今夜はスローカーブ

日本人はいつから腰抜けになったのか

 昭和20年4月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの訃報に対し、当時の首相鈴木貫太郎が同盟通信の短波放送で、不倶戴天の敵国であるはずのアメリカ国民に弔意を示した。戦争中の敵国に対するこの日本人の行為は、世界の人々に驚きと敬意を持って受け止められた。

「アメリカ側が今日、優勢であることについては、ルーズベルト大統領の指導力が非常に有効であって、それが原因であったことは認めなければならない。であるから私は、ルーズベルト大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることがよく理解出来る。ここに私の深甚なる弔意を米国民に表明する次第である。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えていない。日本側としても米英のパワーポリティックスと世界支配に反対するすべての国家の共存共栄のために戦争を続行する決意をゆるめることは決してないであろう。」

 今回の北朝鮮からの訃報に対して、日本政府の官房長官は「個人としては弔意を示すが、日本政府としては…」などと、様々な声を懸念してか、腰抜けな発言をしている。

 たとえ、どんな人間であれ、人の死に際しては瞑目し、その家族、一族に対しては弔意を表する、というのは我々日本人が、さまざまな歴史を経て身につけてきた、世界に誇れる教養である。

 キム・ジョンウィルが死んでも、この指導者の下に行われた国家的犯罪が許されるということはない。ただし、人の生死の尊厳というものを忘れるほど日本人は無教養になったのか。だとしたらそれは、傷つき、囚われの身となり無抵抗で命乞いするカダフィを、惨たらしいリンチにかけ殺した野蛮に通ずるものがある。

 そして死者を鞭打つことで、拉致問題、核問題など、この国に関わる問題の解決が促進されるとは到底思えないし、人間として最低限の礼を尽くすことがそれを阻害するとも思えない。

 日露戦争で辛くも勝利した日本人は、陸においては乃木希典が、海においては東郷平八郎が、それぞれの軍で敗将となったステッセルとロジェストヴェンスキーに対し礼を持って接し、敵味方双方の戦死者を弔った。

 アメリカに気を使っているのか、誰に気を使っているのかは知らないが、藤村官房長官の今回のやりようはいかにも腰抜けだ。日本人の誇りはどこへ行った、と大きな声で言いたいのである。

 長くなるが、鈴木貫太郎の終戦後のことばを最後に読んでほしい。現代日本人に対する過去からの警鐘をここに聴くべし。

「日本人として是非とも残しておきたい美点は何かといえば、本当の武士道であると思う。ヨーロッパにおいて古代には騎士道があり、その精神は脈々と現在にも伝わって来ているのであろうが、日本が過去において世界に誇ってよかったものは武士道であったと思う。武士道は決っして武を好む精神ではない。正義、廉潔を重んずる精神であり、慈悲を尊ぶ精神である。これを失ったままにしておくことは日本民族の精髄を失うことになる。
 役人が国民に約束したことを破って平然としている。知人間、同胞間でお互いがてんでに勝手な生活をしている。約束は実行しない。自由を放縦とはき違えている。こんなことでは騎士道を重んずる連合国の人々にますます劣等国視されるばかりだ。
 いたずらに外面的な新を追い外国風な風俗になることが、民主主義ではない。民主主義の裏づけとなるものは、正義、人道、寛容、友愛その他真に日本の武士道と共通するものである。
 また、これからの日本人は精神も肉体も健全であると同時に、勤勉であり、能率的でなければならぬと思う。日本人が非常に非能率的であるということをよく耳にするが、それは日本人が生活訓練を怠っている証拠であり、常時訓練を行えば、日本人は驚くべき能率をも発揮し得る国民である」

by masami_ws | 2011-12-23 07:50 | ビーンボール163㎞

ホノルルマラソンずだぼろ歩記(あるき)⑤今後の課題

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 まあともかく、フルマラソンを走ったというよりは、フルマラソンの距離を歩いたり走ったりしてどうにかゴールまでたどり着いたという今回のホノルルマラソンだったが、今後にいろいろな課題を残した。

 といってもアスリートの皆さんから見たらくだらない課題かもしれないが…。

 実は上の写真は今回ランニング用のナップサックに詰めて携帯した食べ物類の一部。これ以外にバナナ三本、大型の栄養ゼリーパック二個、アミノサプリ一個など、結構な大荷物になった。

 水分の補給ポイントは数多くあるが、食べ物はないホノルルマラソン、途中のエネルギー切れに備えて食べ物を持てと言われていた。

 特に前日のセミナーでスポーツドクターの野田先生が、羊羹がいいと言っていたので、早速ドンキホーテ(日本の店同様何でもある)で、小さなパック入りの練り羊羹、小倉羊羹、抹茶羊羹と一口サイズの塩羊羹一袋などを購入。

 後で考えると、こんなに持つ必要はなかったのだが、A型で根が心配性の夫は、O型で「なんとかなるっしょ」と楽観的な妻の分まで、担いでいくことと相成った。

 気分はもう、軍歌「歩兵の本領」の何番かにある

♪携帯口糧あるならば
 遠く離れて三日四日
 荒野千里に及ぶとも
 散兵線に秩序あり♪

の通り。でも、やはりというか、当たり前というか、マラソンの最中に食べた物は、持って行った中のごく一部。大半の荷物は、ただ背中に背負って42.195kmを移動しただけのペイロードに。

 ということで、アスリートの皆さんは、栄養補給に関しては、どう対処しているのか。
 是非ご教示いただきたい。
by masami_ws | 2011-12-21 08:25 | 直球勝負!

ホノルルマラソンずだぼろ歩記(あるき)④マラソンと感謝の不思議な関係その二

 マラソンで「感謝」というものと出会った話の続きをしよう。なんだか、あんまりガラじゃなくて照れ臭いのだが、肉体を追い込むと感性が呼び覚まされるのかもしれない。

 まずは、今こうして走っていられることの背景には、仕事で支えてくれた多くの人たちがいる、ということだ。お客様はもちろん、協力してくれている様々な人たちにも、本当に感謝し、帰ったら仕事で恩返ししなければとつくづく思った。

 次は親だ。まずは、ぶっつけ本番でもなんとかこうして走れる気力を与えてくれた亡き父に感謝したい。陸軍士官学校の同期生によると、訓練で一人だけ、隊の重機関銃を担いでえっさえっさと走っていたという。そういう男だったのだ。我が父は。

 また無茶の利く頑健な体に産んでくれた母にも感謝。55歳で逝った父の体は、強いが脆かった。オイラは、強くてしぶとい。これは80を過ぎても、大きな病気もせず水泳などしている母の体質を受け継いだことは、間違いない。

 そして最後は妻だ。オイラが重い腰を上げて今回ホノルルマラソンに挑戦できたのは、何と言っても、好奇心旺盛で実行力のある妻の存在があってのことだ。「犬も食わない」夫婦喧嘩をしながら走ったのも御愛嬌、実は、深く深く感謝しているのである。
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by masami_ws | 2011-12-19 18:54 | 乾杯!

ホノルルマラソンずだぼろ歩記(あるき)③マラソンと感謝の不思議な関係その一

 昨日の記事で、これじゃまるでワタシが一方的にヒステリックになっていたみたいじゃないの、という厳しい意見が約1名からあった。

 すまぬすまぬ、ちょっと大げさにおもしろおかしく書いただけですから、怒らない怒らない。それでなくても、ここまで引っ張ってきてくれたことには感謝しているのだから…

 感謝と言えば、我がマラソンの師、土谷幸三さんから「マラソンをすると感謝の気持ちが湧いてくる」と聞かされていた。しかし練習でちょこちょこっと走ってみたところで、「はあ~くたびれた、帰ってビール飲も」という気持ちはすぐに湧いてきても、感謝の気持ちなどというウツクしいものはぜんぜん湧いてこなかった。

 それが、今回フルマラソンというものを走ってみて、まったく違った。本当にいろんな人に感謝したくなってきたのだ。普段から心の悪いオイラでも、こんな気持ちになることが不思議なくらいだ。

 まずは、沿道の給水ポイントや救護ポイント、交通整理などで、大人から子供まで、たくさんの現地ボランティアの人々が、本当に一所懸命に働いてくれていることに感動した。彼らの表情や「Good Job!」「Lookin`Good」などの声援を聞き、ハイタッチしてくれる手の温もりを感じるとき、絶対途中で挫けないぞという気持ちになった。

 また、沿道の人たちの暖かい心のこもった無償の応援にも感謝だ。そろいのユニフォームを着て鳴り物入りでワーワー大声を出し、次の応援地点まで車で移動しているような大手旅行会社の社員たちの応援にはちょっとシラけるものがあった。

 しかし、自分ちの前で椅子を出して応援している老人や、静かに手を振ってくれる赤ん坊連れの若い母親などには、心の芯を支えられた気がする。ひとり座って古いアコーディオンでアメージンググレイスを弾いていたお婆さんは、にっこり微笑んでくれた。本物の応援とは本当に力を持っていると実感した。

 また、多くの参加者にも感謝したい。噂通り、かぶりものなどで仮装したランナーがいろいろいたが、そういう「イロモノ」ランナーは大抵、4時間台前半までで走るアマチュアとしてはハイレベルな層に多かったようだ。
 スターウォーズのヨーダは相当熱そうだったが、いい走りをしていた。剣道着になんと下駄で走ったお父さんは、はるか前にゴールインして、後から来るランナーをゴール直前の直線で励ましていた。

 ハワイカイへ向かう直線では、すれ違う復路のランナー…それまで飛ばしているので相当疲れている…を遅いオイラたち往路のランナーが「頑張って!」と励ます。…考えてみると、遅いオイラたちのほうこそ頑張れと言われそうだが…

 そんな中、比較的静かな復路のランナーの中に、松岡修造のような好青年がいて、ひとり大声で往路のランナーに「さあ!もうすぐですよ!頑張ってえ!半分きましたよお!もうすぐ折り返しですからねえ!」と声をかけ続けている。自分も相当しんどいはずなのに、いやあ、たいしたもんだ。

 腰の曲がった白人のお婆さんランナーがいた。曲がったというのは、実は前にではなく横に曲がっていて、普通に歩くのも大変そうな体だが、しぶとく速歩で進む。熱いのか、どんどん服を脱いでいくこのお婆さん、ちょっとオイラが休んでいると、いつのまにか先へ行っていて、また抜かすのだが、気を抜くと抜き返される、というのを何度が繰り返した。その水着姿の曲がった背中に手を合わせたい気持ちになった。

 また、一般ランナーよりも5分速くスタートし、本来なら信じられないスピードでフルマラソンを駆け抜ける車いすマラソンの参加者で、何か事情があったのか、一人だけ大きく遅れて35㎞すぎの最後の坂を苦しそうに登ってくる参加者がいた。すれ違う往路側のランナーたちの前のほうから、順に大きな声援がウェーブのように上がっていく。

 オイラも何も考えず、大きな声を出していた。体の中から突き上げるような何かがあったのだ。喘ぎながら車輪を両手でしっかりと握り、うつむき加減だが目だけはあくまで前方を見据えて進む選手の姿は、今も脳裏に焼き付いている。参加者中、最高に感謝したいひとりだ。

 一番驚いたのは、竹馬で完走した男性。(下の写真中央。ゴール後もこれでしばらく歩きまわっていた)何を主張したいのかはよくはわからないが、こんなものを履いてよくぞフルマラソンを完走できたものだ。無謀だが愉快な勇気が伝わってきた。彼にも感謝。… ということで、書ききれないので、明日も感謝について書く。 
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by masami_ws | 2011-12-16 17:37 | ここはチェンジアップ

ホノルルマラソンずだぼろ歩記(あるき)②「夫婦で走るキケン」

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 マラソン前日にコンベンションセンターで行われる初心者向けセミナーに夫婦で出た。往年ののオリンピックランナーなどに交じって、ホノルルマラソン連続39回出場というフォーク歌手高石ともやさんの話と歌を聴いて感動。

 興味深かったのは、4年前、癌の宣告を受け今年3月にこの世を去った亡き奥様との思い出を話された中で、奥さんも20回ホノルルを走ったが、一度も一緒に走ったことはない、とのこと。

 なぜなら、絶対にどっちかが速くて、どっちかが遅い、ということでケンカになるからだ、という。それを聞いても、人も羨むほど仲のいいウチら夫婦は「僕たちは何があっても一緒に走るんだもんね」と笑っていた。その時は。

 翌朝も「万一、ボクが遅れたら置いて先に行っていいからね」「いいえワタシこそ…」「いや決してキミを一人で置いて行ったりはしない」「キミの食べるヨーカン、バナナ、栄養ゼリー、塩アメも全部ボクが背負ってあげるからね」などと、人も羨むほど仲のいいウチら夫婦は一緒に走ることを固く誓っていた。スタート前は。

 そして、レースが始まって3㎞は、Tチタニ師匠に教わった通り「ボクたちは周りのペースにつられずに、ゆっくりゆっくり歩くんだもんね」と人も羨むほど仲のいいウチら夫婦は歩いていた。3㎞までは。

 ところが、そろそろ走ろうかとピッチを刻みだしたところで「ちょっと速くない?周りにつられてるよ」と妻の声。そうかなあ、と不承不承にペースを落とす。だって人も羨むほど仲のいいウチら夫婦なんだから、とガマンした。7㎞地点までは。

 ダイヤモンドヘッド海沿いの登りにさしかかり、一度は抜いたはずの腰に鈴をつけたお婆さんランナーがまた前にいたとか言う妻の話を聞いていないとかいうことで、険悪な雰囲気に。

 だって、オイラはそんな「一度は抜いたはずの腰に鈴をつけたお婆さんランナーがまた前にいた」とか言うくだらん話を聞く余裕などないし、どうでもいいだろそんなこと。ということで人も羨むほど仲のいいウチら夫婦にピシッと亀裂が入った。10㎞地点で。

 前日、マラソンドクターの野田先生から教えられた10分走って5分歩く、というペースを守ろうとオイラが時間を計ると「まだ5分経ってない」だと。ええい、几帳面のA型のオイラは大雑把のO型のアンタよりもちゃんと時計を見ているぞ、と言いたくなるがぐっと我慢。15㎞地点。

 走ると飛ばし過ぎだとナジられ、歩くと歩く速さが遅すぎるとナジられ、まったくアタマにくる。だいたいよおく考えてみると、練習で一往復2.5㎞の隅田川テラスを走る時も、一緒に並走して走ったことはなかった。いつもオイラを置いて周回遅れにしただろオマエ!と過去の恨みも出てきた。

 しまいには「ワタシゃだいたいさっきからずっとイライラしながら走ってる」なんて言われて、かーっ!もうアッタマにきた。そおかそおかオマイさんがそういう料簡なら、コチトラ金輪際一緒になんて走るもんか、とばかり相手を引き離そうとピッチを上げるが、そこはすでに練習でも走ったことのない距離に入っている悲しさ、「ちょっとっ、アンタっ、待ちなさいよ!」とばかりに追走する妻をぜんぜん振り切れない。20㎞地点の予期せぬ低レベルのデッドヒートだ。

 しまいには大声で…周りは半分以上が日本人ランナーだというのに…「ああもうわかった、ホノルル離婚しましょ、ホノルル離婚!」だと。さっきまでは、人も羨むほど仲のいいウチら夫婦を気取っていたのに、周囲のヒソヒソと笑う声が聞こえてきそうだ。

 いやはや、恥ずかしくてとにかくこんな大声出しながら走っている女とは一刻も早く別行動して他人のふりをしたい、という一心でさらにピッチを上げる。ところが、こっちの足は思う通りに動かない。そして、敵もさるもの、ぴったりと追いすがってくる。

 こうなっては、息が続かない。参った。参りました。もう降参。アイムソーリー、ひげソーリー。どうぞ、それでは、お先に行ってください。オイラはゆっくり一人で行くから、と言うと「そんなこと言ったって私の食べ物、みんな自分が持ってるしょ!」だと。そおかそおか、どおせオイラなんかより食べ物目当てだな、こいつめ!

 とかなんとか、すったもんだやってるうちに30㎞過ぎまで来てしまった。あとで公式スプリットタイムを見ると、なんとここが異常に速くなったのはこのイザゴザのせいだった。そんなことなら、スタート地点から「ホノルル離婚しましょ!」をやってくれていれば、相当なタイムが出たかもしれない。

 …と、しかしながらここらで、お互い精も根も尽き果てて、ケンカする気力もなくなってきた。急に雨がザカザカ振って来たり、ワタシは腰が痛いとかオイラは心臓が止まりそうだとか言いだしたりして、お互いだんだん無口に。そしていよいよ35㎞過ぎの復路の登りにかかる。無言で必死の時間だった。

 40㎞地点、坂の頂点から眼下には、太平洋が広がりあとはゴールのカピオラニ公園まで下るだけ。超低レベルの目標だが、8時間切りのためには何としてもここを走り抜かねば。ということで、足を引きずる人や観光気分で写真を撮りながら歩く人を横目に、走る走る。ここも無言。

 そしてついにゴールが見えてきたとき、わが愛する妻が言った言葉はなんと、「手をつないでゴールするんだよ」だと。いやはや、ホノルル離婚だとか騒いでおいて、最後はそれかよ、とは口に出さず、人も羨むほど仲のいいウチら夫婦は人も羨むほど仲のいいウチら夫婦として、手をつないで目出度くゴールインしたのでありました。いやはやいやはや。

 ということで、今後、マラソンを夫婦で並走して走るべきかどうかを真剣に悩んでいる。ご夫婦でマラソンをされる方、是非ご指導いただきたいものである。 
by masami_ws | 2011-12-15 19:20 | ひょうろく球

ホノルルマラソンずだぼろ歩記(あるき)①

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 ということで、人に決して自慢できない記録で何とかゴールにたどり着いただけというオイラの初マラソンだったが、実は何を隠そう、今回のホノルルマラソンは、スタートからゴールへの道のりよりも、スタート地点へ立つまでの道のりのほうが遥かに遠かったのだ。

 そもそものきっかけは、今を遡ること23年前の1988年7月23日、東京都羽村市の株式会社島田組という会社の研修にお邪魔した時のこと。島田弘道社長…当時、たしか50台後半だったと記憶しているが…からホノルルマラソンを6時間で走ったということを聞かされたことだ。

 そのときは、うーむ、オイラが今ハワイに行ければ、2時間台で走るのになあ、と世間知らずのオイラは無謀にも思ったものだ。というのも、高校時代羽球部員として毎日10.5キロの「マラソン大会コース」を35分から40分の時間で走り、そのあと2時間もコートで練習していたという自信過剰の過去があったからだ。

 だから、いつでも走れる、ただし時間と経済的余裕さえあれば、と思いながら、3KM手帳の「チャレンジしたいこと」の欄になにげなく「ホノルルマラソン」と書くようになっていた。でも、実は20年以上も書き続けながら、何一つ前進していなかったのが現実で、気がつくともう50代。

 いつしか、高校時代の自分に2ℓのペットボトルを10本ぶら下げた体重になりながら、筋力はどうしようもないほどに低下し、腰やら肩やら首やらとにかく痛いところだらけ。走るどころか、歩くのも億劫になってしまった自分がそこに居たのだ。

 ところが、人生の目覚まし時計(©七つの習慣)を鳴らしてくれる人は結構いるものだ。オイラの場合は、10歳も年下だか神戸の㈱トムコの土谷幸三社長(つちたにこうぞう…つちやこうぞうではない)がその人。若い時はオイラ同様、結構ちゃらんぽらんやっていたように見えるこの人が、マラソンと出会って変わっていった様子を会う度に教えてくれる。

 そして同じようにマラソンにハマった多くの経営人…同い歳でありながら4時間台で走るFクシマさん、第一回東京マラソンでいきなり3時間台を出したBBウチさん、絶対そんな体に悪いことはしないと言い張っていたくせに今はどっぷりハマっているNカニシさん、世陸女子マラソンを観て選手の骨盤の立ち具合に感動しているやはり50代のKワキさんなど、マラソン熱に感染した人たちが、同じ目覚まし時計を何度も鳴らしてくれたのだ。

 そして、何といっても最後は我が最愛の妻…うーむこんなふうにここに書くのも初めてで恥ずかしいが…が「私も走る」と言いだしたことが、踏ん切りをつけてくれた。よおし、それならオイラも口だけじゃないところを見せてやる!という気になったのだ。

 でも正直言って、年末の繁忙期に休みを取ってハワイに行っていていいのか、ということが最大の問題で、心の呵責というか皆さんに申し訳ないというか、日本人独特の勤勉さゆえ、この時期のホノルルマラソンにエントリーすることを決めることが、最大の心の障壁であったことは間違いない。

 とは言いながら、それを乗り越えてやっとスタート地点に立てた。ここまで引っ張ってきてくれた多くの人たち、そして今一緒に走ろうとしている妻に感謝の気持ちでいっぱいだった。

…という美しい気持ちも、つかの間。ここから始まる「ホノルルマラソンずだぼろ歩記②」に、美しい気持ちがどう醜くなって行くかを報告しようと思う。明日の記事は必見!
 
by masami_ws | 2011-12-14 18:38 | ジャイロ・ボール!!

タイム間違えてました!

ホノルルマラソンの公式サイト(英語)でゼッケンナンバーを打ちこんで調べたら、なんとチャンピオンチップ(シューズにつけるICタグ)による正式な計測で7時間51分29秒だったことが判明。
 こんな結果で、サバ読んでも意味ないのに10分も手元のストップウォッチと違っていたなんて…かえってカッコ悪いのう。
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 これがICタグ「チャンピオンチップ」。計測ポイントに来るとピーピーと反応する。
by masami_ws | 2011-12-13 03:00 | ひょうろく球

完走したぞ

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なんだかんだすべったころんだしながら7時間40分で完走しました。
今着ているのは完走者だけが着られるTシャツです。
by masami_ws | 2011-12-12 08:44 | 直球勝負!

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